ビルボード大阪で昨晩、御年77歳の「泉谷」を観て参りました。 
「拓郎」「陽水」「しげる」とはならなかったんですね。 このお三方に「小室」を加えて、フォーライフというレコード会社を立ち上げたのです、当時。レコード会社主導から、アーティスト主導へ、そんなコンセプトだった気がします。 ※「小室」と呼んでいいのは「哲哉」だけですね。( ´∀` ) あと一人は、「小室等」です。昔、40年以上前ですが音楽雑誌やギター教則本を廃品回収で拾って帰ってましたが、その本の中のギターの先生でした、小室等。この方だけは、フルネームで呼ばれる・・先生みたいな人ですから。 やっぱり、「泉谷」は呼び捨てが似合う。この人の歌に救われて10代を過ごしました。(周りはヘヴィーメタル一色な時代に、私、「泉谷」のカヴァーバンドしてました💦) 今回は、マニアックな話となります。「泉谷」は歌が上手い訳でも、ギターが上手な訳でもなく、普通に暮らしている人からすれば「春夏秋冬」1曲しかヒット曲がない、と思われがちでしょう。(勝手な主観💦)確かに、「春夏秋冬」が秀逸すぎて、そんなイメージも拭えませんが・・。 別の角度からだと、メディアに個性的(安直な表現)俳優として生残った、 そして、いち早くアーティストの災害ボランティアを始めた方、そちらの印象も強いでしょう。 この人の凄いところは、ああ見えて(かなり失礼💦)、「媒介」役なところです。当時、フォークムーブメント(1960年代後半〜)の主役達、 フォークル(加藤和彦)、岡林信康、燗c渡、拓郎、清志郎〜松山千春(ちょっと時代が違う)まで、もう亡くなった方もおられますが、最後の最後まで付き合うところ。 それぞれ皆さん、そこまで仲が良い訳ではないのですが(これも勝手な想像)、「泉谷」を介して繋がる、実に「媒介(仲介)」です。フォーク界の風雲児、無茶苦茶なキャラで有名ですが、実は優しさが滲み出ていて、そこに本当のファンが存在している。これは間違いない! 昨晩は、 写真OKという珍しいライブでした。ありがとう「泉谷」! 
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