10月号付録 カープの観戦は、運の良いことに勝ち試合となりました、消化試合ではありましたが・・。その後、私の同級生の紹介で広島市内中心地の和食処へ。こんなに賑やかな繁華街があったんですね、広島にも。広島育ちとは言え、東側(三原・尾道・福山)ですから、初めての経験でした。 翌朝は、「大和ミュージアム」です。今年の夏、「原爆資料館」へ行き、その時も同じ感覚になりましたが、私が生まれる僅か24年前の出来事かと思うと、時間の感覚がおかしくなります。今から24年前を思い出すと、ついこの前です。 「大和ミュージアム」近くに、85歳のお婆ちゃんが焼いてる「お好み焼き屋」があるから行こう!ということに。終戦直後から、同じ味を今も引き継いでいる「呉焼き」で、シンプルで美味しかったのですが、お婆ちゃん1人で近くの雀荘の出前から、来店客(このお婆ちゃんと同世代のお婆ちゃんが次々と来ます、病院の待合室の様相)の分まで小さな鉄板で焼く訳ですから、限界があります。 この後の四国行きフェリーに遅刻するので、余裕をもって行動してはおりましたが、目の前で他人の分を焼くのを40分程見た後、ようやく箸をつけることに・・・3分で食べました。 呉をあとにして、いざ松山城へ。 松山城は加藤嘉明が築城を始め(後に松平定行が城主)、現存12天守の内の一つ、平山城に分類される、石垣が凄い、程度の予習はしましたが、、歴史の流れを知らないと楽しめません。 NHK大河の「どうする家康」では、今、ちょうど「関ヶ原の戦い」辺りを放映しており、ようやく歴史の流れを理解してきました。 元々、秀吉に見出された加藤嘉明でしたが、秀吉没後の家康と石田三成(文治派)との方向性の行き違いから、天下分け目の戦いへと、その前哨戦である家康の上杉景勝討伐に、加藤嘉明は家康の先鋒衆として従軍したらしいです。その功績で松山城築城に着手しているんですね。今、復習が出来て良い感じです、大河ドラマ。 道後温泉。一度、行ってみたいと私の希望で行きましたが、、 修復工事中にて、通常営業ではなく整理券で1時間待ちとか・・仕方なく別館みたいな温泉へ ちょっとしたスーパー銭湯でした。(´;ω;`)ウッ… |